
依存症に隠れている心の叫び
「くやし~い」、「腹が立つ~!」こんなとき、みなさんはどうやってストレス解消をしていますか?
お酒も買い物も単なるストレス解消で終わればよいのですが、ときに依存症に移行してしまうこともあります。
初めは軽い気持ちで……
ちょっとした楽しみやストレス解消にと始めたことが、いつしかやめられなくなって、やがてそれがないといられない状態に陥ってしまう……これが依存症です。
依存症というと、アルコールや薬物、ニコチンなどの依存症を思い浮かべる人が多いかもしれません。けれども、買い物、食べ物(過食)、たばこ、ギャンブル、ネット、恋愛、携帯電話など依存の対象はさまざまです。これらは医学的に病気として認められているわけではありません。
しかし、ひとたび依存症のレベルに達すると、経済面で破たんしたり、人間関係が悪化したり、心身の健康を害したり、とさまざまな問題が起こってくるのはアルコールや薬物などの依存症と同じです。
依存症には、心の問題が大きくかかわっています。摂食障害と同様に、ありのままの自分を受け入れることができません。自分に対する満足感が得られないため、代わりの「何か」で心の空虚感を満たそうとするものです。
依存するほど、心が虚しくなる
たとえば買い物依存症であれば、ストレスがたまると、経済状況もかえりみず手当たりしだいものを買いあさります。
「欲しいものを買う」のではなく「買い物をする行為」が楽しいのです。ですから、買い物をしているときは高揚感にあふれ、自分のアイデンティティが満たされているような気持ちになります。
しかし、店の外に出たとたんに「現実の自分」と向き合わなければなりません。経済的な破たんが見えている(あるいはすでに破たんしている)のに、欲しくもないものを次々と買ってしまった自分に自己嫌悪を覚え、ますます心が虚しくなります。そして、それを紛らわすために、また買い物に走ります。
自分を受け入れられない限り、心の虚しさはいつまでたっても埋められません。依存症から抜け出すためには、心の専門家や自助グループの手助けが必要です。
「根拠のない自信」が大事
外来で患者さんたちの話を聞いていると「今の私は本当の自分ではない。毎日が虚しい」……そんなふうに自分を受け入れられない人が増えているように思えます。ありのままの自分を受けいれられないのは、自分に自信が持てないからなのでしょう。
でも、根拠のない自信でいいのです。「トラブルがあっても自分にはそれを乗り越える力がある」と自分を信じることが大事なのだと思います。それが打たれ強い人をつくるのだと思います。自分を大事にし、自分にやさしくできる人は、人に対してもやさしくできるし、人を大事にできるでしょう。
人間力を育むもの
「人との関係をつくる力」、「トラブルを生き抜く力」……こうした人間力は、幼児期に友達とけんかをしたりぶつかりあったりしながら育まれていきます。また、親が無条件に自分を受け止めてくれるといった体験が、自分に対する自信へとつながっていきます。
ところが現代は、子どもたちがからだを使って遊んだりけんかをしたりと、友達と交わって遊ぶ体験が極端に減りました。小さなうちからゲームなどバーチャルな世界で遊んでいるので、他人との関係が作れません。生身の人間とぶつかった体験が少ないので、人間関係のトラブルを恐れ、相手のちょっとしたひと言でキレたり、落ち込んだり、人間不信になったりします。
今の親は子どもへの愛情のかけ方が下手なような気がします。ペットをかわいがるように自分本位で子どもをかわいがり、「いい成績をとる」といった根拠のある自信をもたせることばかりに重きをおいて子どもと接します。子どもにとって親の愛情はすべてなので、「いい子」で「いい成績をとって」「いい学校に」行けば親の愛情を受けられると思ってがんばります。子どもからすれば、親が与えているのは無条件の愛ではなく、「これができたら……」といった条件付きの愛情なのです。
根拠がなくても自分を信じる力は、条件付きの愛情からは生まれてきません。子どもたちの「人間力」も育てていくことを、親も教師も地域の大人たちも、みんなで真剣に考えていくべきだと実感しています。そのためには、まず大人が自分に自信をもたないといけませんよね。
みなさんは、自分の力を信じていますか?